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長野地方裁判所飯田支部 昭和53年(ヨ)10号 判決 1979年5月29日

申請人

浦野武彦

宮島勝利

伊藤健治

右申請人ら代理人弁護士

林百郎

(ほか四名)

被申請人

日本発條株式会社

右代表者代表取締役

藤岡清俊

右代理人弁護士

稲木俊介

(ほか二名)

主文

一  申請人浦野武彦が被申請人伊那工場の従業員である地位を有することを仮に定める。

二  その余の申請人らの申請をいずれも却下する。

三  申請費用中、申請人浦野武彦と被申請人との間に生じた分は被申請人の負担とし、その余の申請人らと被申請人との間に生じた分は同申請人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請人ら

申請人浦野は主文第一項同旨の判決

申請人宮島、同伊藤は「同申請人らが被申請人伊那工場の従業員である地位を有することを仮に定める。」との判決

二  被申請人

「申請人らの申請をいずれも却下する。申請費用は申請人らの負担とする。」との判決

《以下事実略》

理由

一  当事者

1  被申請会社が自動車のばね等各種ばねの製造販売を業とし、長野県上伊那郡宮田村三、一三一番地所在の伊那工場を始め、横浜工場、太田工場等全国八か所に工場を有することは当事者間に争はなく、(証拠略)を総合すると、被申請会社は昭和六年一〇月自動車及び車両ばねの製造を目的として芝浦スプリング製作所の商号で設立され、昭和一四年九月社名を日本発條株式会社と改め、資本金は昭和五一年一〇月以降四九億九、三三五万円で、伊那工場、横浜工場、太田工場のほか川崎(二工場)、豊田、広島、厚木(二工場)、滋賀の各八か所に合計一〇工場を有すること、そのうち横浜工場は横浜市磯子区に、太田工場は群馬県太田市にそれぞれ所在すること、従業員数は昭和五三年六月ころにおいて約二、九〇〇名であること、伊那工場は昭和一八年一二月開設され、昭和一九年一月より線ばねの生産を開始し、戦後被申請会社の発展とともに拡充されて現在に至っていること、現在同工場は被申請会社の精密ばね生産本部に属し、小物ばね(精密ばね)を生産しているが、一部は外部の下請企業に注文生産させていることがそれぞれ一応認められる。

2  申請人浦野は昭和四八年六月臨時工(または準社員)として被申請会社に雇用され、同年一〇月一日正社員となり、申請人宮島は昭和三九年四月臨時工(または準社員)として被申請会社に雇用され昭和四〇年三月正社員となり、申請人伊藤は昭和四八年一〇月臨時工(または準社員)として被申請会社に雇用され昭和四九年二月正社員となったこと、右各雇用に当って、各申請人とも勤務場所を伊那工場と指定され、以来他工場へ三か月の応援に行ったことはあるものの、長年にわたり伊那工場を勤務場所としてきたことは当事者間に争がなく、いずれも成立に争のない疎乙第三ないし第五号証及び証人井上時晃の証言(第一回)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、右臨時工または準社員としての雇用契約は期間の定めのあるものであって、いずれも短期間で終了し、その後現在に至るまでの申請人らの被申請会社における従業員としての地位の基礎となる各労働契約は、それぞれ右正社員としての採用時に締結された契約であること、被申請会社には事務社員及び技術社員を一括して事技社員と、工場現場で作業に従事する社員を現業社員とそれぞれ呼称し、申請人らはいずれも右現業社員であることが一応認められる。

二  転勤命令

申請人らは被申請会社が申請人らに転勤命令を発令したのは昭和五二年一二月一三日であると主張するが、証人河原寛の証言(第一回)に弁論の全趣旨を総合すると、被申請会社は申請人ら主張の日に申請人らに対し、赴任日を昭和五三年二月二日とする横浜工場への転勤について告知したが、右告知は転勤命令の内示(予告)の趣旨でなされたに過ぎず、被申請会社が正式に申請人らに対する転勤命令を発令したのは昭和五三年一月二六日のことであって、その内容は赴任日を同年二月二日、転(ママ)務場所を横浜工場とするものであったことが一応認められる。

もっとも、申請人らはいずれにしても申請人らの勤務場所の変更を命ずる転勤命令の効力を争っていることは弁論の全趣旨に照して明らかであるから、以下右転勤命令の効力について判断する。

三  転勤命令権の存否

1  勤務場所は労働者の生活の本拠と不可分の関係にあり、その変更は生活関係に重大な影響を与えるものであるから、労働の種類、態様等と並んで労働契約の重要な要素を構成するものである。従って、まず被申請会社が右のように契約の要素である申請人らの勤務場所を転勤命令によって一方的に変更しうるか否か、その法的根拠の存否について検討しなければならない。

2  労働契約において勤務場所が特定されている場合には、労働者の同意なくして転勤を命ずることができないことはいうまでもない。

そこで、この点についてまず判断をすると、申請人ら各本人尋問の結果によれば、申請人らは、いずれも伊那工場付近の出身で、長年にわたって同地方に居住しており、伊那工場が各自の居住地から通勤可能な場所に存在することを大きな理由として被申請会社に入社したこと、各申請人が被申請会社に雇用されるに至った過程、手続においても同工場を当初の勤務場所とすることを当然の前提として行われ、雇用の際の面接においても転勤の可能性についての説明もなく、各申請人とも転勤がありうることは予想もせずに入社したことは一応認めることができる。しかしながら、右各事実のみでは、将来いかなる事態が生じようとも申請人らが退職するまでの間その勤務場所が同工場に特定されるとの趣旨であったと認めるには足りないといわなければならない。この点については、右のような場合にもなお申請人らの勤務場所を伊那工場に限定するとの明示の特約が被申請会社と申請人らとの間に成立したと認めるべき疎明は存在しないし、前記事情と併せて右特約の黙示的成立を認めるべき特段の事情も存在しない。

かえって、つぎに認定するとおり、被申請会社の就業規則には、申請人らがそれぞれ正社員として雇用されるよりかなり以前から、被申請会社は業務上の必要がある場合には社員に転勤を命ずることができる趣旨の規定があり、申請人らの各採用時には、伊那工場の現業社員に限って見ても、すでに同工場から他工場へかなり多数の転勤実績が存在していたのであり、このような状態の中で被申請会社が申請人らの場合にのみ勤務場所を伊那工場と限定するとの趣旨で労働契約を締結しなければならなかったと認めるべき特段の事情の存在が認められない本件では、被申請会社と申請人らとの前記各労働契約締結の際、被申請会社が将来いかなる業務上の必要が生じようとも、申請人らの勤務場所を伊那工場から動かさないとの意思を有していたと認めることはとうていできないのであり、従って黙示的にも被申請会社が申請人らの勤務場所を同工場に特定するとの意思を表示する基礎さえないといわなければならない。

3  進んで被申請会社が転勤命令権を有するか否かについて判断する。

(一)  被申請会社に就業規則が存在し、その第四五条において、「<1>会社は業務上の都合により、工場、事業場間および関連会社等の派遣、駐在、転勤および出向を命ずることがある。<2>前項の場合、従業員は正当の理由なくこれを拒むことはできない。」と規定されていることについては当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、被申請会社では昭和二二年一一月二一日から就業規則が施行されているが、右就業規則には当初より従業員の転勤について右同旨の規定が存在したことが一応認められる。

一方、(証拠略)によれば、申請人らは前記正社員として被申請会社に雇用された際、被申請会社あてに、それぞれ被申請会社の諸規則(もとより就業規則を含むものと解される)を遵守する旨の誓約書を差入れていることが一応認められる。

(二)  加えるに、(証拠略)によれば、被申請会社には管理職、人事、労務担当者等を除く全正社員で組織する日本発條労働組合(組合)が存在(当然申請人らも同組合の組合員である)し、遅くとも昭和四七年一〇月一日以降被申請会社と同組合間で締結された労働協約においては、組合は従業員の異動を含む人事権が被申請会社にあることを確認(協約第二〇条)したうえ、右異動につき、同協約第二一条で「会社は業務の都合により組合員に工場、事業場間の派遣、駐在、転勤および関連会社への派遣、駐在、出向を命ずることができる。」旨協定して、前記就業規則第四五条と同旨の被申請会社の勤務場所変更権を承認していることが一応認められる。

さらに、(証拠略)によれば、被申請会社では以前より業務上の必要が生じた場合、現業社員の各工場間の転勤が多く行われており、昭和三六年以降に限っても、同年より昭和五二年二月までの間に、別表二のとおり三六回、延人員三七七名の転勤が行われており、そのうち伊那工場から他工場への転勤は昭和三六年に四回で一七名、昭和三七年に五回で九五名、昭和四三年に一回で二名、昭和四六年に一回で六名、昭和五一年二月に一回で三三名(但し二年間の期限つき)に達することが一応認められ、また(証拠略)を総合すれば、被申請会社では、顧客からの注文(被申請会社は受注生産を行っている)の時期的不均等による各工場間の短期的な現業社員の過不足に対処するため、短期間(原則として三か月間)、人員に余裕のある工場より多忙な工場へ現業社員が応援のために派遣される(暫定的ではあるが勤務場所変更の一態様ということができる)慣行が存在しているが、昭和四〇年ころ以降伊那工場からも昭和四八年ころの繁忙期を除いてほとんど毎年他工場へ右派遣(中には広島工場に派遣されることもあった)が行われ、昭和四九年一〇月以降に限っても別表三のとおり三三回、延一九二名の現業社員が横浜工場、太田工場等の各工場及び関連会社へ派遣された実績が存在すること、申請人らもそれぞれ他工場へ派遣された経験があり、被申請会社によって、就業規則第四五条に規定する勤務場所変更権が現に行使されていることが一応認められるのである。

(三)  以上(一)で認定した事実に、(二)で認定の労働協約及び転勤実績の存在の各事実を総合した場合、前記就業規則の存在と、労働契約締結に当り申請人らにおいて被申請会社の諸規則を遵守する旨の誓約書を差し入れたことにより、就業規則の規定が申請人らの労働契約の内容となり、従って同規則の前記転勤に関する規定に基づき、申請人らはその勤務場所変更権を被申請会社に委ねたものと解するのが相当である。

もっとも、被申請会社が右勤務場所変更権を無制限に行使しうると解することはもとより相当でなく、就業規則上の要件及び労使間の信義則に照らし、業務上の必要性、人選基準の合理性ないし人選の妥当性、勤務場所変更権行使手続の相当性の具備が求められるなどの制約が存するところ、これを逸脱したり、また、転勤命令を受けた者の個人的事情において、被申請会社の転勤についての業務上の必要性と比較較量してもなお転勤を拒む正当な事由が存在する場合は、労働契約上被申請会社の転勤命令はその効力を有しないものといわなければならない。

四  本件転勤命令における業務上の必要性の存否

1  (証拠略)によれば、一応つぎの各事実が認められる。

(一)  伊那工場ではいわゆるオイルショック後の不況によって、昭和四九年秋ころから受注が著しく減少して人員余剰が発生し出したうえ、物価上昇にともなう人件費、エネルギー費等のコストアップにもかかわらず、同業者が二、〇〇〇社以上ある小物ばね業界(被申請会社の小物ばね市場占有率は六パーセントないし七パーセントに過ぎない)では価格競争に突入したため、被申請会社では右のようなコストアップ要因を吸収し、さらにコストダウンを図らなければならない必要性に迫られ合理化を推進せざるをえなくなった。そこで、伊那工場ではそのころより各種の合理化に着手し、その結果昭和五〇年九月から同年一一月にかけて大型トーションコイリングマシン導入による機械持台数の増加、検長機、自動監視装置の導入による無人稼働実施等により合計一〇名、同年一二月から昭和五一年二月にかけて自動トーションコイリングマシン等各種自動機の導入、各係の統廃合、物品管理、発注方式の改善等によって合計三〇名、昭和五二年三月から同年九月にかけて未加工品検知装置、からみほぐし機等自動機の導入、ツールのカセット化等段取り時間の短縮等によって合計一〇名、総計五五名の人員削減を伴う合理化を行い、同人数の余剰が発生した。

また、伊那工場の年間生産額のほぼ一二パーセント、約五億円に上るクッションスプリングを発注していた株式会社昭和製作所が昭和五二年三月これを内製化し、右発注を中止したため、その生産納品等に関与していた一八名が余剰となった。

(二)  以上のように伊那工場の現業社員について発生した人員余剰に対処するため、被申請会社では昭和四九年一〇月から昭和五一年三月まで二三回、延一三二名を横浜工場、太田工場等へ派遣(別表三のとおり)し、同年二月には三三名の従業員を二年間の期限付ながら横浜、太田及び厚木の各工場へ転勤(別表二のとおり)させ、その後の人員余剰に対しても、昭和五二年四月から同年一二月までの間に九回、延五九名を横浜工場、川崎工場等へ派遣してこれに対応する一方、営業活動を強化し、これによって大幅な受注の回復を図ったが、余剰人員を吸収するにはほど遠かった。

また、被申請会社では新製品を開発してこれを伊那工場で生産させることによって余剰人員の吸収を図ろうとし、検長機、からみほぐし機等いくつかの新製品を開発したものの、商品化されるに至っていないため、余剰人員の解消に役立っていないし、近い将来これらが商品化される見通しもない。

(三)  以上のような事情の中で、伊那工場では昭和五二年八月、そのころ同工場の人員余剰に対応するため前記三三名の期限付転勤者の他に、別表三のとおり一七名(同年七月末ころでは二二名)の現業社員を他工場へ派遣しなければならない状況のところに、昭和五三年二月には右三三名の期限付転勤者が復帰するので、これに対処するためには改めて転勤を考える以外には方法がないとの結論に達したため、その旨の意見上申を同工場より被申請会社人事部になし、さらにそのころ同部でも昭和五三年三月末時点における各工場の現業社員の過不足状況の見通しを調査したところ、伊那工場では必要人員一八八名に対し、予想在籍人員(三三名の復帰者を含む)二四七名であって、五九名の余剰人員が生ずるのに対し、横浜工場、太田工場等ではかなりの人員不足の発生が予測された。

以上のような状況であったため、被申請会社は昭和五二年八月、検討の結果として同工場の人員過剰は慢性的なものであり、これを抜本的に解決するためにはかなりの人数を対象とする期限を付さない転勤を行うほかはないとの結論に達した。

2  以上認定の事実を基礎に、本件転勤命令につき被申請会社の業務上の必要性が存在したかどうかについて判断すると、

(一)  合理化の必要性

前記認定の小物ばね業界における被申請会社(伊那工場)の立場に照らし、業界全体が価格競争に突入した中で被申請会社がひとりコストダウンのための努力を怠っていてよい筋合のものではなく、被申請会社には合理化の必要性があったと認めるべきであり、その一環として自動機の導入等による省人化を行って人件費の節減を図ったこともまた是認せざるをえないところである。

(二)  余剰人員の予測

前記認定の合理化及び大手注文者であった株式会社昭和製作所の発注中止の経緯並びに昭和五二年七月、八月ころの伊那工場から他工場への派遣、転勤者数(別表三によれば同年一〇月下旬には他工場への派遣は二五名に達し、期限付転勤者を合わせれば五八名の現業社員が他工場で勤務していた)に照らせば、被申請会社の予測した昭和五三年三月末の時点における伊那工場の余剰人員数及び右人員余剰が慢性的であると判断した点に不合理はなかったといわなければならない。

(三)  人員余剰問題の解決の方策として期限を付さない転勤を選択した点について

(証拠略)を総合すると、被申請会社が伊那工場の右人員余剰問題の解決に当って期限を付さない転勤を選択した事情について一応つぎの事実が認められる。

(1) 伊那工場における人員余剰問題の解決方法としては、他に人員整理、下請け引上げによる外注品の内製化、他工場からの生産品目の移管が考えられるが、人員整理については、労使とも全く考慮せず、むしろ人員整理を避けることを前提に対策を考えたこと、下請けの引上げについては、これを行った場合直ちに下請け企業における雇用問題となって、長年協力関係にあった下請け企業労使への影響及び地域社会への影響が大きいので、被申請会社での対応策がある間はこれを避けなければならないこと、生産品目の移管については、伊那工場の立地条件上、製品の納期の遵守、輸送等の点で不適当であり、また仮に移管しようとしても機械設備の移転のために莫大な経費、労力を要し、かつ移管に伴って逆に旧生産工場から伊那工場への社員の転勤が避けられないこと、以上のような難点があっていずれも選択できなかった。

(2) 一方、被申請会社では各工場間で現業社員に過不足が生じた場合は、それが短期的な場合には派遣で、それが長期的な場合には転勤でその打開をはかることが慣行とされ、別表二の過去の転勤例のうち少くとも昭和四六年四月に行われた豊田工場から横浜工場(一一名)及び川崎工場(六名)への各転勤、昭和五一年三月に行われた川崎工場から横浜工場(一五名)及び滋賀工場(六名)への各転勤並びに前記のとおり同年二月に行われた伊那工場から太田、横浜、厚木の各工場への各転勤がいずれも各工場間の現業社員の長期的過不足を補正するためになされた実例である。

(3) 本件転勤に期限を付さなかったのはつぎの理由による。

(イ) 被申請会社が行う現業社員の転勤は期限を付さないのが原則であり、昭和五一年二月の前記転勤にこれを付したのは唯一の例外的措置であった。

(ロ) 右のような例外的措置をとったのは、組合からの要求に基づくものであったが、被申請会社としても右転勤期限の二年の間には景気の好転、営業努力、新製品の開発等による受注の拡大により余剰人員の解消を期待したためこれに応じた。しかし、右期待は外れ、前記のとおりその後の合理化の進展と株式会社昭和製作所の発注中止によってかえって余剰人員は増加し、その解消の見込みは立たない事態となった。

(ハ) 右期限付転勤を実施した結果、転勤者、受入れ工場とも、受入れ工場の生産技術の習得、指導に消極的となり、伊那工場においても将来の基幹技術者の養成に支障が生じたうえ、期限付転勤を繰返すことは人事技術上も困難があり、従業員の士気にも影響した。

(ニ) 一方、組合としても、従来より各工場間の労働条件の格差をなくすことをその運動方針の一つとし、その結果伊那工場では昭和三七年ころまではその賃金水準が横浜工場の七〇パーセント以下であったものが、右組合の努力により同水準まで高められた実績(その結果、昭和五二年における伊那工場従業員の賃金水準は、単純に金額だけを比較しても長野県平均の三割以上、賞与に至っては約五割以上に達し、伊那地方の水準のみで比較するとさらに上廻る)もあり、このような中で転勤問題について伊那工場の従業員に限り優遇措置をとることは他工場の従業員に不満を与えるとの見地から、組合としても本件転勤には敢えて期限を付することは要求しなかった。

以上認定の事情のもとでは、被申請会社が伊那工場で生じた長期的人員余剰を解消するために、人員不足のある他工場への期限を付さない転勤という方策を選択したことはやむをえなかったといわなければならない。

(四)  以上認定の事情は昭和五二年八月ころ以降本件転勤命令発令時まで基本的に変化はなかった(後記認定のとおり、伊那工場では昭和五二年八月前後から同年末までに現業社員中一六名に及ぶ退職者が出たが、人員余剰問題の解決方法に影響を与えるには至らず、他にこの点に関する事情の変化を認めるに足りる疎明はない)。

以上によれば、被申請会社において、慢性的な伊那工場における人員余剰を解消する方法として期限を付さない転勤を選択し、その実行として後記認定の本件転勤命令を含む多数者の転勤を計画し、これを実施に移したのは業務上の必要に基づく、やむをえない措置であったといわざるをえない。

五  本件転勤命令の合理性について

1  (証拠略)を総合すれば、本件転勤がいわゆる指名転勤となった経緯についてつぎのような事情が一応認められる。

(一)  前記のような伊那工場の慢性的人員余剰問題に対処するため、まず昭和五二年八月二三日被申請会社側から精密ばね生産本部長、人事部次長、同工場長ら、組合側から組合中央執行委員長、支部組合三役らが同工場に参集して協議を行なったが、その席上、被申請会社側から右問題の対応策として、同工場から人員が不足している横浜、太田両工場へ期限を付さない転勤を実施したい、人数は受入れ工場側の長期的見通しとの関係で四〇名程度とするとの説明がなされ(伊那工場としてはこれで解消されない余剰人員については従来どおり派遣で対応したい旨人事部に申入れていた)、これに対し、組合側からは希望転勤の方法によるべきだとの意見が提出され、支部組合からも右転勤にも期限を付けてほしいとの希望が出されたが、期限を付けることについては前記のような事情から被申請会社及び組合とも消極的意見であった(以後労使間の協議において期限を付することは議題とならなかった)。そして、同日中川組合中央執行委員長は伊那工場の全従業員に対し、同工場の人員余剰問題を二年間の期限付転勤や派遣で対応することは同工場の従業員に不安を与えるので、これに代る恒久的な対策が必要な状況である旨の説明を行い、同月三一日支部労使協議会で河原同工場長より同工場の人員余剰問題についての状況説明があったり、同年九月始めの同工場の朝礼で、同工場長より従業員に対し、同工場の人員余剰状況の説明とこれに対しては転勤で対応することを考えているとの趣旨の説明がなされたりした後、同月九日中央労使協議会で、被申請会社は組合に対し、同工場において期限を付さない転勤について希望者を募集したい旨の提案を行い、右提案は同月一五日支部組合の職場委員会で承認された(そのころ組合中央も右提案を承認したものと推測される)。

そして、同月二七日同工場の全員集会において、森田精密ばね生産本部長、松崎人事部長より、希望転勤を募集することと、その背景及び募集は全現業社員を対象とする旨を説明(夜勤者に対しては同工場長より同旨の説明があった)し、同年一〇月始めの月例朝礼及び職場委員会における同工場長の説明等を経たうえ、そのころより同工場長の指示に基づき、同工場の係長により全現業社員を対象とする個人面接が行われた(右希望転勤の募集と全現業社員に対する係長面接があったことは当事者間に争いがない)。右個人面接は現業社員一人平均三回くらいにも及び、希望転勤応募の勧誘のほか、個人的事情の聴取等も行われたが、その際多くの者に対してはさらに希望転勤応募者が少ない場合には指名転勤に切換えられることもありうるが、その場合に転勤に応ずる意思があるかどうかの打診も行われた(他工場へ派遣中の者や制限付転勤中の者にもそのころ現地で同旨の個人面接が行われた)。なお、右面接時の意向打診に対して、申請人宮島は指名された場合は考慮すると、同浦野は指名されれば行くと(但し真意は指名に応ずるつもりではなかったが、行くといった方が指名される可能性が少ないだろうとの考えによるものであった)とそれぞれ答え、同伊藤のみは指名されれば退職すると答えた。

しかし、希望転勤に応ずる旨を申出た者は結局太田今朝雄(当時五七才か五八才)一名だけであった(応募者が一名だけであったことは当事者間に争がない)。努力した希望転勤がこのような状況で成果があがらなかったため、被申請会社は同年一一月一日以降、組合、支部組合と今後の方策について数次にわたり協議、検討を経た(組合内部でも中央と支部とで意見交換が何回か行われた)後、同月一八日支部労使協議会において、正式に指名転勤実施の提案を行った(そのころ組合に対しても右提案がなされたものと推測される)。右提案に対して、支部組合では同日執行委員会及び職場委員会をそれぞれ開催してこれを受諾することに決定し、また同月二一日に行われた各職場の職場集会でも右問題について討議が行われた(被申請会社が指名転勤に切換えたことと、これを従業員が右同日始めて知らされたことは当事者間に争がない)が、職場委員らから右受諾決定の報告とこれに従ってほしい旨の説得があり、各職場とも受諾はやむをえないとの空気が大勢であったので、職場委員会では同日右会社提案を受諾することを確認した。

支部組合における右受諾の態度が決定した後、同月二三日中央で労使協議会が開催され、その席上、組合から指名転勤実施に当っては、本件転勤問題が発生した後これに関連して退職の意思表示をした者や今後その意思表示をする者に対して規定額プラスアルファの退職金を支給してほしい旨の要求が出され、被申請会社としても、退職者は人員余剰の解消に貢献するとの趣旨からこれに応ずることとし、指名転勤内示の前日までに退職の意思表示をした者に対しては規定の退職金に基本給の一・五か月分プラスアルファ(ほぼ給料の二か月分に相当)を上積み支給することとし、それとともに予定していた指名転勤内示日を同年一二月五日から同月一三日に変更する旨を組合に回答した。そこで、支部組合では同年一一月二四日その旨を同工場の全員集会で報告し、同工場長もその席上同旨の説明を行った(他工場への派遣者、期限付転勤者に対してもそのころ同旨の報告がなされた)。

そして、組合中央執行委員会は同月三〇日、右のような支部組台の状況と経過をふまえ、伊那工場における指名転勤実施の提案を受諾することに正式決定し、直ちにその旨被申請会社に通告した。

2  (証拠略)を総合すれば、指名転勤決定後、本件転勤命令発令に至るまでの経過についてつぎの各事実が一応認められる。

(一)  組合が被申請会社の提案した指名転勤を正式に受諾したので、伊那工場では直ちに指名転勤の人選作業に入ったが、右人選作業は同工場長及び同工場の課長が協議して行った(以下課長会議という)が、その際の資料は、同工場が保管している自己申告、自己評価表、親族調査書、従業員名簿、教育指導調書及び二人の地元出身課長と一人の同工場勤務歴の長い課長の持っている情報等であった。

(1) 同年一二月三日第一回課長会議で、まず転勤除外者の検討を行ったが、その結果はつぎのとおりである。

(イ) 転勤対象者から除外することに決定した者

(組合執行委員)

組合支部長より、伊那工場に残留して、転勤者の今後の伊那工場への復帰について会社側へ強い働きかけを行いたいとの趣旨の申入れがあったことと、組合役員の中でも執行委員は代替が困難であって、これを転勤の対象にした場合は支部組合運営上支障があるだろうという配慮に基づき除外することとした。

(特別技能者)

伊那工場には特別な生産設備が多く、高度の技能と長い経験を必要とするものも多いので、同工場の今後の生産活動を支障なく行うために特別技能者を除外することとしたが、具体的な特別技能者の選定は、対象設備とこれに必要な技能及び右技能を有する者の数によるので、後日の課長会議で行うこととした。

(五六才以上の高令者)

間もなく定年を迎えることと、若い者に比して転勤への対応も困難であろうとの配慮に基づいて除外することとした。その結果さきに希望転勤に応募した太田今朝雄も除外されることとなった。

(病弱者、身体障害者)

腎不全のため週二回血液の透析を行っている者一名を病弱者として、身体に障害を有する者三名及び労災によって治療中の者一名を身体障害者として除外することとした。

(女子現業社員)

本件転勤問題が具体化した後、女子にも退職者が出て、女子在籍者が少なくなったことと、母子家庭の比率も高まっていることを考慮して除外することに決定した。

(二年の期限付転勤中の者)

右転勤に当って、次回の転勤の対象とはしない旨の組合との協定に基づく。

(係長)

伊那工場の生産の要は係長であって、係長によって同工場の生産活動が円滑に行われており、かつ他の者が直ちに代行できるという職務内容ではないので、これに抜けられると今後の同工場の運営、生産活動に支障が生ずるとの観点から係長を除外することとした。

(ロ) 転勤対象者から除外しないことにした者

(農業兼業者)

まず、伊那工場の現業社員中、農業兼業者の実態を検討したところ、ほとんどが米作であり、その規模も比較的小さく、自家用米の生産程度の者がその四分三近くを占めること、最近の米作技術は省人化されており、また農協や専業農家に生産を委託する方法もあることがわかったので、伊那工場の従業員の農業はサイドビジネスと評価し、かつ現業社員中半数近くを占める農業兼業者を転勤対象者から除外した場合、そのしわ寄せは必然的に被申請会社からの給料だけで生活している他の社員にかかることとなって不公平になるという理由から除外しないこととした。

(父母との同居者)

父母との同居者は、核家族化された人たちに比べて転勤が困難ではないかとの点から除外すべきか否かについて検討したが、父母との同居者が六〇パーセント以上を占め、これを除外すると、転勤対象者がごく少なくなってしまうという理由と、同居の父母も大半が職業をもって働いているという実態からこれを除外しないこととした。

(家族に重病人をもっている者)

配慮すべきであるとの結論であったが、手許資料では該当者がいなかった。従って、この点についての配慮は将来実際に該当者が発生した場合に検討することとした。

(2) 同月五日受入れ工場側と折衝の結果、転勤者数は横浜工場へ二〇名、太田工場へ一七名と決定した。

(3) 同月六日第二回課長会議を開催し、係別人員名簿、資格取得一覧表等を参考資料として、特別技能者を係別に選出する作業を行い、その結果一係から一〇名、二係から七名、三係から三名、四係から七名、五係から九名、機動係から八名、工作係から六名をそれぞれ特別技能者として選定した。

(4) 本件転勤に当っては、伊那工場では転勤前後で同工場の現業社員の年令構成の変動をできるだけ避け、かつ転勤者が片寄ることにより生産活動に支障が生じたりしないように転勤者を各係に分散させることを基本方針としていたので、右転勤者数の決定及び特別技能者選定後の同月八日か九日ころ、転勤者数を別表一―一のとおり各係、年令層別に割振った。なお、右転勤者数の割振り時、前記全転勤対象除外者を除く転勤候補者は合計一二七名であって、その係別、年令層別在籍状況は別表一―二のとおりである。

(5) 以上の過程を経て、同月一二日第三回課長会議を開いて具体的に転勤者を選定したが、右選定は前記係別、年令層別転勤者数に基づき、各枠内の転勤候補者を、独身か妻帯者か、有する技能の範囲、高低及び受入れ工場の要望する技能の種類等を基準にして比較検討し、申請人らを含む三七名の転勤者とこれに対する各転勤工場(申請人らはいずれも横浜工場)とを決定した。

申請人らが転勤者に選定されたのはつぎの理由による。

(申請人浦野)

同申請人は五係で四一才から四五才までの年令層に属する(当事者間に争がない)が、右枠への転勤者割当て数は前記のとおり二名の候補者に対し一名のところ、工程の関係で多能工が必要とされる同係において、右候補者中他の一名の者の方が経験と習熟度にまさっているためこれを残留させることとし、同申請人を転勤者に選定した。

(申請人宮島)

同申請人は二係で三一才から三五才までの年令層に属する(当事者間で争がない)が、右枠への転勤者割当て数は前記のとおり二名の候補者に対して一名のところ、右候補者中他の一名の者は妻帯者であるのに対し、同申請人は独身かつ次男であったので、同申請人を転勤者に選定した。

(申請人伊藤)

同申請人は三係で二六才から三〇才までの年令層に属する(当事者間に争がない)が、右枠への転勤者割当て数は前記のとおり四名の候補者に対して三名のところ、右候補者中一名は妻帯者であったため、これを除外し、独身者であった同申請人を含む他の三名を転勤者に選定した。

(6) 被申請会社(伊那工場)は同月一三日右転勤者人選リストを支部組合三役に提示してその確認をえたのち、直ちに申請人らを含む各転勤被選定者にその旨の内示を行った。

(二)  右転勤内示後、被申請会社は受入れ工場に命じてその総務担当者を伊那工場に派遣し、各受入れ工場の状況を説明させた。すなわち、横浜工場の担当者は同月一九日、三回にわたり同工場への転勤被内示者に面接してその質問を受けつつ、同工場の作業内容、人員不足の状況、寮や社宅、厚生施設の状況、子供の幼稚園への入園の可能性等について説明(申請人浦野は第一回面接に、同宮島及び同伊藤は第二回面接にそれぞれ出席した)し、太田工場の担当者も同月一九日及び二〇日、合計三回にわたり同工場への転勤被内示者に面接して同旨の説明を行った。

これと前後して、被申請会社はとくに横浜工場への転勤者のために、家族同伴者用の社宅に供するため横浜市内のマンション借上げの準備をしたり、同伴家族の再就職のために被申請会社が所有管理する寮の寮母のポストを空席にして就職希望者を引受ける態勢を整備したり、幼稚園入園について手配をしたり、引越手続についての配慮をしたりして伊那工場からの転勤者の赴任に備えた。

(三)  一方、本件転勤の内示を受けた者のうち申請人らを含む約二五名は同月一七日「転籍を指名された者の会」と称する会を結成し、同月一九日伊那工場長あてに、指名転勤撤回を主旨とし、その他本件転勤の必要性及び指名人選基準を明らかにすること、組合との交渉経過の説明、指名されても転勤に応ずることのできない者達に対する同工場長としての考え方等一〇項目について回答を要求したのに対し、工場側は昭和五三年一月九日ころ以降一応同会との話合いに応じたものの、進展はなかったため、同月二三日本件転勤の内示を受けた申請人らを含む六名が本件仮処分申請に及んだが、この間も本件転勤被内示者に対し、同工場側から転勤に応じるようかなり強力な説得が行われ、その結果どうしても転勤に応じられないとする二二名が退職届を提出(二二名の退職者が出たことについては当事者間に争がない)し、申請人らを含むその他一五名に対しては内示どおりの転勤命令が発令された。

3  以上の事実によれば、被申請会社としては、本件転勤命令発令に至るまで、組合及び支部組合と十分協議を行い、その承諾のもとにまず希望転勤の募集を行ったが、右方法では目的を達することができなかったため、指名転勤に切換えたものであり、その間には伊那工場における転勤の必要性とその背景の説明もかなり行ったし、期間的余裕をおいた内示を行い、転勤被指名者内示後においても被内示者に対し、受入れ工場の受入れ条件等の説明や現実の条件整備も行っているのであって、右各事実に照せば、本件転勤命令発令のための必要最少限の手順は尽しているものと認めるのが相当である。

また、人選についても、本件転勤が被指名者に与える重大な影響に照せば、できる限りの公平さは要求されるものの、人事権を有する被申請会社として、本件転勤後の伊那工場の円滑な運営のために、合理的範囲を逸脱しない限り、人選基準の設定と具体的人選においては裁量権を有するものというべきところ、前記認定の人選基準(除外基準)及び具体的人選事由は全体として観察した場合、右合理的範囲を逸脱していないというべきである。なお、前記認定の別表一―二に照せば、公平を期するために被申請会社の行った係別、年令層別の各枠に対する転勤者数の割当てには右趣旨に必ずしも添わない多寡のある部分が存することは認められるが、右割当ても厳密に算術的公平さがなければならないというものでもなく、それが裁量権の範囲を著しく逸脱しない限り、ある枠に独身者が多いとか、復帰する期限付転勤者を受入れるため(<証拠略>によれば、右事情の存在が一応認められる)とかの特別な事情に基づき、ある程度の多寡をつけることは許されるというべきである。

もっとも、前記転勤被指名者に与える影響の重大性の観点から見ると、被申請会社の人選基準の設定または具体的人選においては、いささか個人的事情の斟酌において欠けるうらみがあり、さらに肌理の細かい配慮(例えば被申請会社手持の資料または伊那工場長、同課長らの有する個人的情報からは漏れているかも知れない個人的、家族的特別事情の収集とこれへの配慮、農業兼業者についても個々の具体的農業形態や規模への配慮等)があって然るべきであったといえるが、本件転勤は多くの候補者の中から少数の適格者を選ぶものではなく、前記のとおり一二七名中から三七名を選定するという作業であって、個人的事情においてかなりの不利益が予想される者も相当数選定の対象にせざるをえない事情にあるというべく(後記のとおり転勤被指名者の個人的不利益も通常転勤に伴うものである限り、これを有する者を選定しても人事権の濫用には当らないというべきである)、このような事情の中で特定の個人的事情を有する者への配慮は必然的に同種の事情を有しない者への過度の不利益となるなど、人事技術上の困難さも認めざるをえないところであるし、さらに前記のとおり、ある程度の大枠の中で選定された者において、個人的事情で転勤を拒むに足りる正当事由がある場合は就業規則上救済の途があることを考えれば、本件転勤に至る手続において右のような配慮に欠ける点があったことをもって、転勤命令全体の有効性を否定する理由とはなしえないといわなければならない。

六  労働協定違反の主張について

昭和五一年三月二六日被申請会社と組合との間で、同年二月の転勤について転勤期間を二年とするとの協定が成立したことは当事者間に争がないが、右協定が本件転勤を含むその後の転勤にも適用される趣旨で締結されたと認めるに足りる疎明はない。かえって、(証拠略)並びに本件転勤に当って右協定の当事者たる組合自身右協定が本件転勤に適用されると主張した証跡が見られない事実(前記認定のとおり、本件転勤について被申請会社と組合との協議が始まった当初、支部組合から本件転勤にも期限を付けてほしい旨の希望が出されたが、その後は期限を付することは議題にならなかった)を考え合わせると、右協定の趣旨は、昭和五一年二月の転勤に当っては、転勤期間を二年とし、右期間が終了する時期に至ってもなお伊那工場の人員余剰が解消せず、再度転勤を必要とする場合にも、右期間を延長したりせず、右転勤者を期間終了後直ちに同工場に復帰させること及びこれ以前にも同工場に人員不足が生じた場合には右期間にかかわらず右転勤者を優先的に復帰させることにつきるものであったと一応認めるのが相当である。

よって、本件転勤に期間を付さなかったことをもって、これが右協定に違反するということはできない。

七  公序良俗違反の主張について

1  (人証略)を総合すると、伊那工場の従業員は他の都会地等の工場の従業員と比した場合、主観的、客観的にその居住地との結びつきがより強いことは一応認められる。しかしながら、従来の居住地から切離されることによって生ずる不利益、苦痛は転勤一般に通常伴うものであることに照らすとき、前記認定のとおり、被申請会社が就業規則に基づき(弁論の全趣旨に照せば、本件転勤命令の対象となった現業社員を含む伊那工場の全正社員は、被申請会社との間でそれぞれ入社に当り申請人らと同旨の労働契約を締結することによって、就業規則に規定する勤務場所変更権を被申請会社に委ねているものと推察される)、同規則の規定する要件に従って、業務上の必要性に則り、かつ被申請会社の従来からの全社的慣行(伊那工場にも右慣行が行われていたことは前記認定のとおり)に従って発した本件転勤命令においては、右居住地との結びつきが本件転勤命令の業務上の必要性及び従前の慣行を排してなお保護するに価するほど強いといえる特段の事情(特に前記認定の、伊那工場が全国各地に工場を有する大規模企業である被申請会社に属し、かつ組合の全社的労働条件の統一という活動方針とその努力等によって労働条件が被申請会社所属の他工場と同水準に引上げられた結果、その賃金水準のみでみても、伊那地方の他の地方企業に勤務する労働者とは格段の好待遇を受けるに至っている事実に照らせば、伊那工場にも前例のあった全社的慣行に反して伊那工場の従業員のみが本件転勤に当って特別の保護を受けるにはそれだけ強い理由の存在が必要というべきである)がない限り、被申請会社の本件勤務場所変更権の行使を公序良俗に反するとは評価しえないと解すべきところ、本件の場合、前記認定のとおり転勤の内示を受けた者のうち二二名が転勤命令の発令される前に転勤に応じ難いとの理由で退職している事実はあるものの、右事実のみによっては前記特段の事情(特に全社的慣行をも妨げるに足りる事情)の存在を推認するに足りず、他に本件転勤の対象となった伊那工場の従業員一般につき、右のような特段の事情を認めるに足りる疎明はない(農業兼業者等個人的事情のある者については個別に判断すれば足りるというべきである)。

また、転勤先の点についても、横浜、太田両工場とも従来より伊那工場からの派遣先あるいは期限付転勤先となっていたことは前記認定のとおりであり、右各工場の所在地もさして遠隔地とはいえず、農村地帯から都会地への転勤をもって公序良俗違反ともなし難い。

さらに、労働形態の変更の点についても、申請人伊藤本人尋問の結果によれば、伊那工場では小物ばねの生産を行っているのに対し、横浜工場では大物ばねの生産に従事しなければならないことが一応認められるが、いずれにしてもばね生産の現業作業であって労働契約の要素の変更に当らないし、右変更を伴うからといって公序良俗違反ということもできない。

2  申請人らは本件転勤の真の目的は人員整理にあった旨主張するが、前記認定の本件転勤に至る経過に照らせば、右主張は認め難いところである。

もっとも、(証拠略)によれば、前記希望転勤募集中に三名の現業社員(他に昭和五二年八月及び九月に各一名の現業社員)が退職(右退職者の退職理由については、病気、高令、他への就職等本人の都合による要素がかなり強かったふしもうかがわれ、これを重視することは相当でない)し、また前記退職金優遇措置が発表された昭和五二年一一月二四日以降、本件転勤被指名者内示の日の前日である同年一二月一二日までに一一名の現業社員(他に退職金優遇措置発表前に一名)(内女性八名)がそれぞれ退職する旨の意思表示をしたことが一応認められる。しかし、右退職金優遇措置は前記認定のとおり、組合が被申請会社の提案した本件指名転勤を承諾するに当って被申請会社に対して要求した結果実現したものであって、被申請会社が積極的に推進したものではなく、むしろ右措置が組合の要求によるという事実に照らせば、右退職金優遇措置要求の趣旨は、仮に本件転勤に指名された場合、これに応ずる意思がなく退職せざるをえない者の立場に立ち、これらの者に対し本人の都合による退職の場合以上の有利な条件による退職の機会を与えてほしい、との点にあったのではないかと推測される(従って被申請会社が本件転勤被指名者内示後の被指名を理由とする退職者に対して右優遇措置を適用しなかったことは遣憾というべきである)のであって、これに応じて被申請会社が右退職金優遇措置を実施したからといって、これを根拠に被申請会社の悪意を推認することは相当でなく、かえって、(証拠略)によれば、右退職届を提出した者のうち一名がその後右意思表示の撤回を申出たのに対し、被申請会社はこれを容れて、同人の退職届を差戻した例もあることが一応認められるのであり、女性の退職者についても、希望転勤募集の場合の被申請会社側の説明あるいは係長面接の際の説明内容はともかくとして(但しこの段階で女性を転勤対象者から除外することが決定していたと認めるに足りる疎明はない)、指名転勤に切換えた後には被申請会社としては女性も指名転勤の対象者に含まれている趣旨の説明をしたことはないことが一応認められ、仮に右のような説示があったとしても、女性退職者が退職の意思表示の効力を争うのなら格別、本件転勤の真の目的が解雇にあったとする証拠とすることは困難である。

さらに、前記のとおり本件転勤被指名者内示後本件転勤発令時までに、内示を受けた者のうち二二名が退職したことは当事者間に争はないが、被申請会社が本件指名転勤決定に当って、右のように多くの者が退職することを予期していたと認めるに足りる疎明はない(むしろ申請人浦野本人尋問の結果によれば、係長面接の際、指名転勤に切換えられてこれに指名された場合の態度を打診された者の多くは、転勤に応ずる旨返答したことが一応認められる)以上、右多数の退職者があった事実をもって、本件転勤が解雇を目的としていたと推断する根拠とはなしえない。なお、(人証略)によれば、内示後の退職者の一人である伊藤忠が上司に対し退職する旨を述べた際、上司の一員であった係長田中一男が即座に同人の辞表を代筆したことが認められるが、同証言によれば、右代筆は同係長が同人に自分で辞表を書くようにと勧めたのに対し、同人の方から同係長に代筆を依頼した結果によるものであることが一応認められるのであって、右のような経緯で同係長が右依頼に応じてその場で代筆したからといって、これに他意があるものと解することは相当でない。

3  申請人らは本件転勤の原因である伊那工場の慢性的人員余剰を発生させた被申請会社の合理化を非難する。

被申請会社の経営内容が申請人ら主張のとおりであることは被申請会社も明らかに争わないところである。右の事実によれば、被申請会社は申請人ら主張のように極めて優秀かどうかは格別、いわゆる東京証券取引所一部上場会社中、中堅的企業として比較的安定した経営内容と業績を挙げているということはできる。

ところで、現在の経営環境及び将来の社会経済情勢についての見通しのもとで、忠実に業務を執行しなければならない法律上の責任を有する会社の業務執行者が、これに対応して会社の存立目的を達成するため具体的な経営方針と施策を決定しこれを実施に移した場合、それが単に真摯な業務執行に名を藉りただけで、明らかに会社の存立目的とは異なる他の違法不当な事柄の遂行を目的とするものと認められるような特段の事情のない限り、裁判所がこれに対して批判を加えたり、干渉したりすることは不適当といわざるをえない。これを本件について見ると、伊那工場の合理化の直接の契機は前記認定のとおり、同業者多数の業界の中で価格競争に後れをとらないためであったのであり、その後の同方針の推進にも忠実な会社の業務執行以外の違法不当な目的趣旨を見出しうるような特段の事情は認められないところである。

そうすると、被申請会社が伊那工場において合理化を推進し、これによって生じた余剰人員を他工場への転勤によって解消するという施策を採用したこと自体を公序良俗違反と目することはとうていできないといわなければならない。

4  本件転勤の手続において、これを無効としなければならないような瑕疵が認められないことは前記のとおりである。

以上を総合するに、前記認定のような被申請会社の業務上の必要に基づき、労使間の信義則上要請される最少必要限の手順、手続を経て行われた被申請会社の勤務場所変更権の行使を公序良俗違反ないし信義則違反として全体的に無効とする理由は見出し難い。

八  拒否権(または権利濫用)の主張について

前記就業規則第四五条第二項の規定は、同条第一項と相まって、被申請会社に従業員に対する勤務場所変更権を付与する反面、従業員にも正当な理由がある限り被申請会社の勤務場所変更権行使の効力を否定することができる根拠を与えたものと解すべきところ、右正当事由とは、被申請会社が業務上の必要という要件を充足する限りにおいて行使しうる勤務場所変更権の効力を否定するに足りる事情、すなわち被申請会社の転勤命令についての業務上の必要性と、転勤命令によって従業員が受ける不利益とを比較較量して後者が前者に優ると認められるような客観的な特別の事情というべきであり、従って右特別の事情には従業員の主観的事情や転勤に伴って社会生活上通常生ずるような事情は原則として含まれないといわなければならない。

以上各申請人らにつき、右趣旨における正当事由が存在するかどうかについて判断する。

1  申請人浦野

(証拠略)によれば、つぎの事実が一応認められる。

同申請人は昭和一〇年九月一日肩書住所地(略)で出生し、以来同地に住み、本件転勤命令当時四二才で、家族は妻と中学校在学中の長男及び各小学校在学中の次男、三男の五人構成であった。同申請人は水田約五〇アール、畑約五アールを耕作し、牛五頭を飼育しつつ、農閑期には日雇いの人夫等に出ていたところ、昭和四八年一〇月、当時伊那工場に勤務していた知人の紹介で被申請会社に入社することとなったが、右入社に当って、同工場で面接を担当した同工場総務課長小田切義美らに対し、右農業経営の状況を明らかにし、同工場に勤務の傍ら引続き農業を兼業していきたい旨の希望を述べ、同工場側からそれが可能である旨の返答をえて入社した。同申請人の農業経営規模はその後拡大し、昭和五二年一〇月ころには牛を一〇頭飼育するまでに至り、耕地も前記のうえに牧草栽培用として畑二〇アールを借りた後、同月ころさらに約八〇アールを借り増しして耕作を始め(その後昭和五三年一一月下旬ころには牛は一五頭、農地は水田約七〇アール、牧草畑約一〇〇アールの規模に達している)、これらに伴い、乳牛近代化資金として一五〇万円(昭和五二年一〇月ころ購入した牛三頭の代金に充当)及び家屋の増築資金一二〇万円の債務(その他に同年一二月ころ(但し本件転勤内示前)購入予約し、昭和五三年春購入したトラクター代金一七〇万円の頭金に充当するための借入金五〇万円、なお右トラクター残代金については三年年賦の約)を負担していた。同申請人方の農作業及び酪農作業はかなり機械化され、同申請人の妻も次第に同作業を習得してきたものの、なお同申請人が中心となって行っており、同申請人は朝四時ころ起床し、夕方は退社後、さらに休日を使用して農作業を行っている。なお、水田耕作については農協の斡旋を通じて専業農家に委託する方法もあるが、酪農にはこのような方法はなく、また同申請人は昭和五〇年一二月から昭和五一年二月までの三か月間太田工場への派遣に応じた実績がある。

ところで、被申請会社が農業兼業者を本件転勤対象者から除外しなかった理由は前記のとおりであり、右理由は一般的には是認しえないでもないところであって、申請人浦野本人尋問の結果によれば、現に農業兼業者数名が本件転勤命令に応じて転勤先工場へ赴任している事実も一応認められる。しかしながら、農業兼業者の営む農業にも種々の形態と規模があり、またこれに従事する家族労働力にも個別的に異る事情があることは明らかであり、農業兼業者中、仮に転勤命令に応じたとすれば、同人方の農業経営が維持できなくなることが客観的に明らかな場合に、同人に転勤を強要することは社会的に見ても相当でなく、前記認定の本件転勤についての被申請会社の業務上の必要性と転勤規模と対比しても、本件転勤命令の効力を否定するに足る正当事由になるというべきである。

同申請人の場合、右認定の事情、特に昭和五二年一〇月以降の同申請人の農業経営の形態と規模(なお判断の基準時としては、本件指名転勤切替えが現業社員に公表された昭和五二年一一月二四日ころとするのが労使間の信義則に照らして相当であろう。)及びその家族構成に照らすと、同申請人方の農業は同申請人なしでは経営不可能と認められる。そのうえ、被申請会社も同申請人が農業を兼業とすることを承知し、これを継続できるとの信頼を与えて同申請人を採用した事実をも勘案するとき、同申請人には本件転勤命令を拒む正当事由があるというべきである。

2  申請人宮島

(証拠略)によれば、つぎの事実が一応認められる。

同申請人は昭和二〇年三月二六日、姉四人、兄一人の六人兄弟の末子として伊那市で出生し、以来中学校卒業後四年間諏訪市内の会社に勤務中同市に居住したことはあるものの、それ以外には伊那市を離れたことはなく、本件転勤命令当時三二才で独身であり、両親及び兄夫婦(兄夫婦の間の子二人)の住む実家に同居し、食費として一か月三万円を兄嫁(以前は母)に渡していた(その後右状況は変っていない)。兄は伊那市内の興亜電工株式会社に約一七年間勤務し、金皮事業部主任の地位に達しており、兄嫁もほぼ同期間同市電報電話局に勤務している。両親とも病弱で通院中であるが、いずれも兄が扶養している。しかし、兄は昭和五二年夏ごろから健康が勝れず、昭和五三年一月一七日結腸右半切除手術を受け、同年二月二一日退院し、同年三月一日より出勤し、以後通常の生活を送っているが、なお経過観察中である。姉達はいずれも伊那市を離れ、茅野市、千葉県(二人)、静岡県にそれぞれ居住している。同申請人が本件転勤を拒否しているのは、同申請人自身の結婚問題と兄の病気が理由である。なお、同申請人は昭和四二年ころ横浜工場へ、昭和四五、六年ころ広島工場へ、昭和五〇年太田工場へそれぞれ派遣された経歴を有している。

右認定の事実によれば、悪性の既往症をもつ兄の万一の場合に備えて引続き伊那市に居住していたいとする同申請人の心情を理解することは不可能ではないとしても、兄は本件転勤命令発令当時すでに手術を済ませた段階であり、その後の予後に照せば、内申請人の右理由は自身の結婚問題をも含めて主観的なものといわざるをえない。なお、同申請人が伊那工場に約一四年間勤務していた実績についても、本件転勤についての被申請会社の業務上の必要性と転勤規模に照らせば、特段に先任権の認められない状況において、転勤拒否の正当事由とは認め難い。

3  申請人伊藤

(証拠略)によれば、つぎの事実を一応認めることができる。

同申請人は昭和二二年三月二六日伊那市で出生し、生後間もなく父親が死亡したため、以後母一人に育てられた(いわゆる母一人子一人の関係である)。中学校卒業後、上京して就職したが、母と生活をともにするためと同申請人自身都会の生活が合わないと感じたため約二年半後伊那に帰り、以後同地方の二、三の会社に順次就職した後、昭和四八年一〇月被申請会社に入社した。同申請人は本件転勤命令発令当時三〇才で独身であり、母親とともに伊那市営住宅に居住していた(その後も右各状態は変っていない)。母親は大正九年生れで、約一〇年前から同市内の信英通信工業株式会社に臨時工として勤務している。同申請人が本件転勤を拒否しているのは、伊那地方で生れ育ち、親戚縁者も同地方に多い母親が今さら都会へ出て生活をするのは嫌だと移転を拒絶していることと、同申請人自身も自宅から通勤できるところ以外には行きなくないことが理由である。なお、被申請会社は同申請人の母親にも数回同申請人とともに横浜へ行ってくれるように説得したが、拒否され、また同申請人は昭和四九年二月から同年四月まで、昭和五二年一〇月から同年一二月までそれぞれ横浜工場へ、計二回の派遣歴を有する。

以上認定の同申請人の個人的事情のうち、同申請人自身居住地を離れたくないという感情は、同申請人の経歴の点を勘案しても、なお同申請人の主観的事情を出るものではないというべきである。問題は母一人子一人の関係にある同申請人の母親が現居住地を離れることを拒絶している点であるが、右母親が同申請人の被扶養者であり且つ病弱等現居住地から移転できない客観的事由があるのならば格別、同申請人の母親の場合、長年支障なく労働に従事するなど独自の経済力と生活力を有しているのであり、被申請会社において同伴家族のための就職の機会まで準備している中で、このような母親が同申請人とともに転勤先へ行くのを肯じないことは、同申請人の本件転勤命令を拒む正当事由とはなりえないと解するのが相当である。

4  以上によれば、申請人浦野の場合は、本件転勤命令を拒否する正当事由があるということができるが、同宮島及び同伊藤の場合は、同申請人らについて認定した前記各事実によっては右正当事由があるとすることはできず(なお付言するに、将来同申請人らにおいて親を現居住地において扶養しなければならない等特別の事情が生じた場合には、被申請会社において特段の配慮が切望される)、他に右正当事由ないし被申請会社が同申請人らに対し本件転勤命令を発令することが権利の濫用になるような特段の事情は認められない。

九  結論

よって、前記正当事由に基づき転勤を拒否する申請人浦野に対する本件転勤命令はその効力がないというべきであるから、同申請人はいぜんとして伊那工場を勤務場所とする労働契約上の地位を有しているというべきであり、かつ同申請人が主張する保全の必要性にわたる事実に関しては被申請会社も敢えて争わないのであって、右事実によれば保全の必要性があると一応認めるべきであるから、同申請人の本件仮処分申請は理由があるので、保証を立てさせないでこれを認容することとし、申請人宮島及び同伊藤については、同申請人らに対する本件転勤命令は有効といわざるをえず、従って同申請人らは本件転勤命令発令によって伊那工場従業員としての地位を失ったというべきであるから、同申請人らの本件仮処分申請は被保全権利の存在を認められず、立保証をもってこれに代えることも相当でないので、これをいずれも却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 北澤貞男 裁判官 国枝和彦 裁判長裁判官中山博泰は転任のため署名押印することができない。裁判官 北澤貞男)

別表1―1 係別、年令層別転勤者表

<省略>

別表1―2 係別、年令層別転勤対象者表

<省略>

別表2、別表3…次頁参照

別表2 現業社員転勤実績表

<省略>

別表3 伊那工場の他工場への派遣実績表

<省略>

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